保育園の運動会の日の朝、年少の息子は小さな声でうつむきながら上の言葉をつぶやいた。
私にとって小さい頃の運動会はわくわく楽しいイベントだった。
勝っても負けても、みんなで何かを競うこと自体が楽しかった。
「運動会は楽しいもの」と思い込んでいた私にとって、思いもよらない息子の言葉に胸の鼓動が早くなった。
「速く走れなくても、うまく出来なくても、楽しめればいいのよ。ママはアナタが楽しんでくれるのが一番うれしいの」そう伝えた。
そして振り返る。
頭では行動したプロセスを大事にしたいと考えていたが、実際は結果を褒めてきたのではないだろうか。
歩けたら「上手に歩けたね」。
走り始めたら「速く走れてすごいね」。
お遊戯をすれば「上手に動けたね」。
普段の何気ない褒めた一言が、「「出来る」ことはいいことで、「出来ない」ことはダメなことだ」と、知らず知らずのうちに息子の脳裏に植え付けたのかもしれない。
出来ない自分をダメだと感じ、小さな胸を痛め、運動会に行きたくないと直訴したのだと思うと、胸が締め付けられた。
「出来ても出来なくても挑戦して行動したことがすばらしい」のだと、普段から伝え続けなくてはと心に誓った。