Please Share:
 
つうしんはみたータイトル画像

私、普光院が初めて保育園を考える親の会に参加したのは、1988年2月20日に開催された「初めて子供を託して働く親のためのセミナー」でした。保育ママにお世話になっていた第1子の入園申請中で、ドキドキしながら合否を待っていたのでした。

当時は、会社勤めで出産後も働き続ける人は少なく、保育園を考える親の会に参加して、同じ立場の仲間に出会えたことがうれしく、すぐに入会しました。

というわけで、事務所には1988年からの「つうしん」しかありませんが(創会は1983年)、その中から、時代を感じられる紙面をご紹介していきましょう。

24号(1989年2月)から

ゼロ歳児保育、延長保育が普及してなかった!

保育園への不満もいろいろ。

この当時、会社勤めの親の一般的な復職パターンは、産休明けに認可外保育施設に預ける→1歳から認可保育園に転園する、というものでした。当時の認可保育園は、ゼロ歳児保育をやっていない園も多く、やっていても「生後8ヶ月から」などが多かったのです。育児休業制度はまだありませんでした(1992年から開始)。

33号(1991年9月)から

スクラップ「育児休業中の退園問題」

33号の新聞記事スクラッップです。育児休業中の上の子の退園。なんとこの時代から問題になっていたのでした。つい数年前にも所沢市で問題になりました。

54号(1996年6月)から

メールは普及していない時代でした。たくさんの手書きのおたよりが送られてきていました。

おたより「正社員を追われて」

「法律では出産後の復帰は保障されていますが、うちのような小さな会社では、残業もできない、しょっちゅう休む、早退もすると決めつけ、使いにくいと考えていたようです。その上、昨年私が産休・育休に入るころから仕事のやり方が大きく変わり、私の長年の仕事歴も過去の産物となってしまいました。ですので、会社は私の復帰を望まず、家に入ることを遠回しに押し付けていました。私も育児に疲れ、夫の消極的な育児参加等考えると、長時間労働は無理、かつ会社の内部にもいやけがさして、正社員復帰を断念し嘱託社員を受け入れてしまいました。(抜粋)」

おたより「こんなはずでは…」

「3月24日の『ワーキングマザー入門』に参加させていただき、その場で入会させていただきました。当日は、4月からの職場復帰を控えて不安でいっぱいだった気持ちが、他の人も同じようなことで悩んでいるのだと知り、先輩方、園長先生のお話をうかがったことで、とても楽になりました。帰り道は何かものすごいパワーをもらったような気分で、「よーしやるぞー」と腕をぶんぶん回して歩いていました。

そして、4月から娘と私の保育園生活が始まったわけなのですが……。予想はしていたのですが、とにかく休みの日が多いのです。6月7日現在で、登園できた日が25日間。19日もお休みしました。風邪ばっかり引いているのです。小児科の先生の顔を見なかった週はほとんどないといってよいぐらいです。(略)この子はこんな弱い子ではなかったのにと思うと何か自分が仕事をするための犠牲に娘がなっているような気がして、とても悲しくなります。(略)

会社に子どもが熱なので休ませてくださいという度に、肩身の狭い思いをして、治った次の日出社するとまわりの人にいろいろ聞かれたりするのも辛いです(皆さん心配してくださっているのはよくわかるのですが、やっぱり保育園に子どもを預けているというだけで奇異な存在に見られているというのが感じられます)。

こんなはずじゃあなかったのになーと、毎日トイレで独り言を言っています。他にもこんな保育園生活のスタートを切った方がもしいらっしゃったら、お話をうかがいたいです。(抜粋)」

おたより「周囲の心づかいを受け入れるゆとりを」

「私は現在、2歳8か月の女の子を市立保育園に預けて、フリーで原稿書きや編集の仕事をしています。その前に1年近く会社勤めをしていたのですが、高熱が続く子どもを無理に保育園に預けて「子どもが死んじゃったらどうしよう」と思いながら仕事で走り回らなければならなかったとき、会社をやめることを決心しました。(略)

私の性格には極端なところがあって、仕事でも頑張りすぎて自滅というパターンを繰り返してきました。再就職したときも「子どもがいる人はこれだから困る」と思われたくなくて家に仕事を持ち帰り、深夜までかかって仕上げたり、子どもを連れて休日出勤したり、なおかつ家事も手を抜くことができず、1年間全力疾走し、結局息切れしてしまったのです。(略)

今はフリーなので家で仕事をすることも多く、通勤時間がかからない分、早くお迎えに行けます。また子どもが病気をして保育園を休んでも、夜中に仕事をしたり、原稿の納品はパソコン通信ですませたりすれば仕事に穴をあけずにすみます。仕事をくださる方も、打ち合わせは夕方にかからないようにと気をつかってくれます。以前の私なら、子どもがいるために気をつかってもらわねばならないことが嫌だったかもしれません。しかし、保育園や諸制度だけでなく、こうした職場の気遣いといった助けがなくては、働く母の裾野は広がらないのだと思うようになりました。(抜粋)」

74号(1999年11月)から

おたより「上司の思うツボ」

「5月はじめに2人目を流産してしまいました。精神的にも体力的にもやっと回復してきました。妊娠を上司に知らせたとき、いい顔されず、考え直せ(遠回しにおろせ)といわれ、ショックでした。産みたかったのに、結局上司の思うツボになってしまいました。

1か月職場を休みましたが、復帰後もつらくあたり、すぐにでもやめたい気持ちになりました。でも、経済的にやめることもできず、まだ仕事は続けています。超不規則勤務と激務で息つくひまもなく、毎日を送っています。(抜粋)」

→「つうしん」は見た!(2000年~2012年)(30年間の軌跡)