服へのこだわりが強すぎる

お気に入りの洋服は?

お子さんの好みやこだわりのポイントは、どんなものでしょうか? それぞれありますよね。
4歳になる子どもの服へのこだわりが強い…と悩む会員からの投稿に、子育ての体験談、様々な立場からのアドバイスが寄せられ子どもの個性への関わり方の問題から、発達支援の問題、園や学校のあり方の問題まで話題は広がりました。(会員メーリングリストのたくさんのやりとりから一部編集し、収録します)

4歳の息子、服へのこだわりがすごい

T@東京です。4歳の息子の服へのこだわりがひどくて気に入る服を見つけるのに苦労しています。長袖のシャツがサイズアップしたときはリサイクルでもらった紫の服(小さくて着られない1着)が猛烈に気に入っていたのですがもうその服は売っていません。

保育園でも別の服だと気に入らないからと着なくて着せるのが大変でしたと言われました。ネットショップで見て本人が気に入ったシャツを買ったら、やっぱり気に入らないと言われ、プラレールのワッペンを買ってつけたらようやく着るようになりました(それ以降はその紫の服以外も着るようになったとのこと)ただ、それだけでは数が足りなかったので追加の服を買うために店を3軒はしごし、3軒目でようやく気に入る服が見つかってぐったりしました。

半ズボンはポケモンでなければ嫌だと言って、今まではいていた半ズボンを嫌がるようになりました。ちょうどユニクロでポケモンのステテコが発売されたのでそれを買うことで解決しましたが、今のところ保育園にははいて行かず、これから暑くなるのに保育園ではいてくれなかったらどうしようと心配しています。

最近パンツのサイズが小さくなったので新しいパンツを買うことにしました。プラレールのパンツがいいと言うのでネットショップでプラレールのパンツを探して見せると、どれも嫌だと言います。「E7系とこまちとドクターイエローの柄が入っているもの、それ以外の新幹線が入っていたらダメ、E7系だけのパンツではダメ」ととにかく細かいのです。パンツを注文するだけなのにものすごい時間がかかってしまいました。

好みの布で作ってあげられたらよいのですが、入園グッズを作る程度の腕前しかないので子ども服や肌着は作れません。いったん気に入ったら同じ服をずっと着続けるので、その点については問題ないのですが気に入るものを見つけるのが大変でサイズアップが憂鬱でたまりません。

服へのこだわりが強いお子さんをお持ちの方、購入可能な既製品で満足させる方法、好みのものを探すのが楽になるコツなど、何かサイズアップの憂鬱をなくすアイデアがあれば教えてください。

好きなものをそろえる作戦は?

Tさま、こんにちは。B市のAです。打っては消し打っては消しで遅くなってしまいました。息子さんのお洋服についてご苦労されているとのこと、大変ですよね。まず、息子さんのこだわりについて、向き合って対応してらっしゃること、とてもすごいことだと思いました。

対処案としては、
・気に入ったものの全サイズ複数枚購入しておく(途中で飽きてしまうと困りますが)
・無地のものに、自宅プリンターからプリントできるアイロンプリント紙に好きな図柄をプリントしてアイロンプリントする
などはいかがでしょうか(もう既に実行済みでしたらすみません)

これしか着ない!というお子さんの場合、同じものを複数枚持っていて毎日同じ柄のものを着ているということもあります。お話伺う限り、洋服の着心地へのこだわりというよりは、視覚情報へのこだわりの方が強いのかな?という印象を受けます。そうであるならば、息子さんの好きなものをアイロンプリントする方が、洋服をあちこち探すよりは労力が減るのでは?と思いました。

ただ、かなり洋服へのこだわりがあるようなので、他のことでのこだわりの有無や、洋服のこだわりに対する困り感が強くなって、息子さんやTさんの日常生活が辛いものになってしまっていないか?ということが気になりました(困り感が強いお子さんやご家族を支援する仕事をしているので……)。

市の設置しているお子さんの相談センター等に相談されると、似たような相談事があったりして、アイデアをくれたり、その他にも困り事があるようなら、その相談や解決策を一緒に考えてくれる場所を教えてもらえるかもしれません。

文面から想像を膨らましてしまい、余計なことまでお伝えしてしまっていたら、すみません。少しでも、気持ちよく洋服が着られるようになること、祈っております。

保育者から見ると

こんにちは。園長をしていますNです。こういう子たちは、保育園にもたくさんいますよ!(笑)
こだわりが強かったり、頑固だったり……。ただ、お家での様子を伺うとやっぱり集団生活とは違うようで、その子なりにお友達や先生との関係性もあるようですね。

どちらの姿も大切ですが、家では甘えられる分、お母さんたちが大変です。みなさんの奮闘ぶりには頭が下がります。

たくさんの子育てを見てきてわかったことは、どんな子にもツボがあるということです。先生たちもその子にあったやり方をあの手この手と考えながらやっています。そのために大切なことは、その子をよく観察すること。私もそうだったのですが、親って自分の子どもだと近すぎて見えないこともあるんですね。

思い込みが強すぎて、素の子どもの姿が見えなくなってしまうことも……。親というよりもコーチになった気持ちで子どもを観察して試行錯誤する。そんな時も必要だと思います。(ちょうどオリンピックもやっているので、コーチと選手の関係性も見られますしね)

子育ては、試行錯誤の実験場です。上手くいくこともあれば上手くいかないこともある。そんな過程こそを楽しめればいいんですけどね。

ただ、このごろのお母さんやお父さんは、私から見ても真面目すぎると思います。子ども主体という言葉に振り回されている気もします。みなさんの親や祖父母世代の子育てなんて、今から考えればかなりむちゃくちゃでしたよ(笑)

それでも、ほとんどの子どもたちは、みなさんのようにちゃんと育って社会で生きています。世の中は、自分の思い通りに行かないことだらけです。子どもの主体性を大切にすることは良いことですが、親が子どものご機嫌を取ったり、家来になる必要はありません。ダメなことはダメですし、出来ないことは出来ないのです。

こだわりが強かったり、頑固だったりというとマイナスなイメージを持つ方も多いかもしれませんが、納得いくまで考え抜く力を持っていたり、周囲に惑わされない強い意志の持ち主かもしれません。その子その子が持つ特性や性格をいかせられる環境がどこかにあると良いですよね。

うちの園は、特別支援(障害児)指定園なので、かなりのこだわりを持っている子もいます。でも、人類の発展は、こういう人たちがいたからこそだと考えています。アインシュタインだって、エジソンだって今ならりっぱな支援児です。

「こだわり」大事にしてあげてください

こんにちは、TМです。
Nさんも仰っていますが、社会にイノベーションを起こすのは、拘りや集中力が強い人だと思うのです。

日本だと「他の子どもと同じようにできる」のが良い子、同調圧力を感じ取ったり、同調できたりしない子はダメな子、というレッテル貼りが、早期、かつ、強すぎて、子ども達が、周りの目を見る、自分の言葉を飲み込む、自分はダメな子だと自己肯定感が傷つけられる。

その結果、自由に伸び伸びしている子を傷つけるようになる(イジメの温床)という、悪循環が、そこかしこで見られます。だから社会が閉塞して、経済力も技術力も沈下しているんですよね。

子育ての究極の目的は、その子が幸せな人生を送ること、という最終目標を忘れずに、「人と同じことができる」から距離を置いてみると、その子を丸ごと肯定することができるようになったり、そのことで、その子が自己肯定感を傷つけられずに成長して、大きくなってから、後伸びするんじゃないですかね。

体験談やアドバイスありがとうございます

T@ 東京です。皆さん、体験談やアドバイスありがとうございます。
アイロンプリントはまだ試したことがないです。同じ服を何着も買って洗い替えして着ているというのはまさに息子のことです。服は大量にあるのに種類はたった2種類しかなく、いつも同じ服を着ているので写真で探すのが楽です(笑)。

サイズアップは保育園の先生から小さいねと言われるとよほどお気に入りの服でない限りサイズアップに納得します。ただ、サイズアップに納得しないと新しい服を選ぶ気にならないので長袖の服を着る時期なのに店に半袖しか置いていないなどとなると、シーズン先取りが憎くなります。あとはズボンにごくわずかでも穴が開いているのを見つけるとゴミ箱行きになります(親よりも見つけるのが早いです)

視覚情報へのこだわりが強いというのは言われてみれば確かにその通りだなと思いました。
小さな公園に知らない子がいたら別の公園に行きたがったり、知らない人に話しかけられても答えかったりという人見知りな面はありますが、保育園ではコミュニケーションや日常生活にまったく問題ないそうです(保育園では思い通りにならないことがあってもたいてい柔軟に対応できているようです)。保育園の先生から聞く息子の様子は天使のようないい子で、別人ではないかと思うほどです。

発達支援についての補足

Tさま、Aです。発達支援の専門職という立場から、発達支援について補足をしておくと、発達支援は「発達障害と診断されたから」受けるものではないです。

なかなか認識が広がらずもどかしい思いもありますし、公立の発達支援センターですと、困り感が強かったり診断がついていて重度のお子さまがどうしても優先となるため、発達支援=発達障害などの何かしらの障害があるお子さんが受けるもの、と感じてらっしゃる方が多いのですが、本当は、診断がついてなくても、本人やご家族が何かしらの困り感があった場合に、その対処方法や解決策を一緒に探ったり、場合によっては療育を行って、子どもの発達を支えて行きましょう、というものです。

発達障害があってもなくても、何かしらの困り感というものは、子育てのなかでは出てくることだと思います。また、子どものこだわりも、みなさんおっしゃるように年齢があがるにつれて落ち着いていくことが多いです。ですが、「今」その困り感が強くて生活が大変だな、というときに、子どもやご家族を支援していくのが発達支援です。

こだわりが強い=発達障害、ではないですし、発達障害=発達支援が必要、なわけでも、逆に、発達障害じゃない=発達支援は必要ない、というわけでもないこと、少しでもご理解いただけたらな、と思いました。

最近、発達障害の認知度が高まってるがゆえに、発達障害なのでは?と心配される親御さんや、発達障害が疑われるから発達センターに相談をと言われた、といったお声をよく耳にします。しかし、本来は、「発達障害だから」ではなく、生活において”本人や家族が”困っていることがある、というのが大前提です。困ってなければこだわりが強くてもいいのです。発達支援というものの適切な理解が進むといいなぁと、切に願います。

親として勇気づけられました

Cと申します。脱線すみません。Aさま、以前、発達障害の診断について保育園の無理解から親子で苦しんだ経験を持ちます。支援の必要性について、専門職としての補足とてもありがたいです。
発達障害という言葉(通報というシステムも)の誤解が1人歩きしてしまっていることは、回り回って、親へのプレッシャーになり、子育てしにくい社会を形成しているように感じます。

まずは保育士も、子どもの発達についてよく学んでほしいと再度思いました。うちの園の体制だけがひどかったのだと思いたいですが。そんな中で、隊長さんやTMさんの仰る「コミュニケーション能力以外の特性も活かせる社会」「同調圧力を崩していくこと」のお話は、親としてとても勇気付けられました。

その子がその子らしく社会の中で生きていくため

Nです。本園は指定園なので発達障害と診断された子が11名います。(児童クラブには10名)ですから臨床心理士(保育カウンセラー)の先生をパート(週一)で雇っています。といっても、相談に来る親は診断された子たちばかりではありません。

それぞれの子にはそれぞれの個性や性格があります。そして、時に親や本人が“困り感”を持っていることもあります。発達支援は、私たちと親が一緒になって、その子がその子らしく社会の中で生きていくための支援をするものだと思います。
現場から言わせて貰えれば、「どうしてこの子に診断名が付いて、この子はスルーなの?」なんて事もありますしね(笑)発達支援という言葉が、もっと認知されて、気軽に専門家や保育士に相談できる体勢作りが必要です。

それでは。

「困り感があったら支援する」のが「子育て支援」だと思います

TМです。【A様】
> こだわりが強い=発達障害、ではないですし、
 発達障害=発達支援が必要、なわけでも、
 逆に、発達障害じゃない=発達支援は必要ない、というわけでもないこと、
 少しでもご理解いただけたらな、と思いました。

ここ、凄く大事ですねー。DSMとかの疾患と診断の国際分類で、自閉症スペクトラムやADHDの診断基準に
「社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしている」
というのを発見したとき、あー、困ってなければ「障害」じゃないんだ、と思ったのを、思い出しました。

私の周りの法曹界の人々は、自閉症スペクトラム系の診断基準に該当する要素をなんらか持っている人が多いのですが、業界自体がそういう人が多いからか、その特性ゆえに困る、という場面が少ない気がするんですよねー。
たぶん、困り感があったら、診断されたであろう人々も、困り感が無かったから、診断されずに来たんだろう、と。逆に、困ってる人がいたら、その理由が何であれ(発達特性であれ社会的要素であれ)、支援する、っていうのが、「子育て支援」ですよね。

N様
保育園とか小学校とか見てて思うのは、「人と同じ」を強要する職場は、一人一人の違いに寄り添うだけの人手が足りてないんじゃないかと思うんですよね。

TМです。【A様】
> こだわりが強い=発達障害、ではないですし、
 発達障害=発達支援が必要、なわけでも、
 逆に、発達障害じゃない=発達支援は必要ない、というわけでもないこと、
 少しでもご理解いただけたらな、と思いました。

ここ、凄く大事ですねー。DSMとかの疾患と診断の国際分類で、自閉症スペクトラムやADHDの診断基準に
「社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしている」
というのを発見したとき、あー、困ってなければ「障害」じゃないんだ、と思ったのを、思い出しました。

私の周りの法曹界の人々は、司法試験の特性上か、自閉症スペクトラム系の診断基準に該当する要素をなんらか持っている人が多いのですが、業界自体がそういう人が多いからか、その特性ゆえに困る、という場面が少ない気がするんですよねー。
たぶん、困り感があったら、診断されたであろう人々も、困り感が無かったから、診断されずに来たんだろう、と。逆に、困ってる人がいたら、その理由が何であれ(発達特性であれ社会的要素であれ)、支援する、っていうのが、「子育て支援」ですよね。

N様
保育園とか小学校とか見てて思うのは、「人と同じ」を強要する職場は、一人一人の違いに寄り添うだけの人手が足りてないんじゃないかと思うんですよね。

配置基準が

40:1(小2以上)、35:1(小1と幼稚園)、30:1(保育園4、5歳)、20:1(保育園3歳)で、

「人と同じ」行動をできない子どもを安全に見るのは、やっぱりシンドイ、だから、怒る、だから、子どもが困る、ということなんじゃないかと。なので、配置基準の見直しが、全ての根本じゃないか、と改めて思いました。