子育てで変わるもの、変わらないもの

機関紙「つうしん」web化を機会に、スタッフでこちらのブログも更新していきます!毎月1回更新予定です。

こんにちは。スタッフのタケミホです。

皆さんはどのような「子どもの未来」を想像していますか?
どんな大人に育ってほしいと思っていますか?

折しも参議院議員選挙があったばかり。年金、消費税、子ども・子育て支援…。考えなければならない悩ましい課題がたくさんありますね。
わが家には、もうすぐ選挙権を獲得する17歳、思春期まっただ中の14歳、まだまだ甘えたい8歳の子たちがおり、3人を育てながら仕事をしています。
教育に関わる仕事をしていることもあり、日々「この子たちが大人になったら」「アレ!あと数年でもう大人だけど大丈夫かな」「もう大人だけど全然大人になりきれていないな」など悩みがつきません。

思い返せば…
0歳や3歳のころの「食べてくれない」「飲んでくれない」「オムツかぶれが治らない」と悩み、
6歳や8歳のころの「嘘をつく」「勝手な行動」に悩み、
12歳から14歳のころの「将来への漠然とした不安 」にどんな言葉をかけたらいいのか…

と悩みも子どもとともにフェーズがどんどん上がってくる感じがしますが、
実は悩みの本質はあまり変わっていないのだろうな、と最近感じ始めています。
そもそもの「どのような子(大人)に育ってほしいか」というところに落ち着くからです。(やはりグローバル市民に!ではそれに必要な教育/教養とは…?!)

絶賛イヤイヤ期もイライラ期(親がひたすらイライラさせられる思春期)もモヤモヤ期(友人や経済感覚など、口も手も出せない大人差し掛かり)も、やはり根本には「どのような大人になって欲しいか」という問いに行き着いてしまい、すべて親自身の人間観や人生観に跳ね返ってきてしまうものだったなと思います。
(究極は健康で機嫌よく日々過ごしてくれりゃ十分だよ…)

親とは、子どもの最善の利益のためと信じて手を変え品を変え何かしら意味のある言動を取ろうとするのですが…その結果たるや?散々なもので、試されているのは親ばかりということで、また懲りもせず「どのような子に育って欲しいのか」と自問する毎日であるわけです。(いや一応生きる力はつけさせないとな…)

ある日、子どもが親世代の古くさい価値観で作り上げちゃった自分勝手な「育って欲しい」像(幻想)からスルリと飛躍し軽々と高いところに飛んでいく姿が見えるといいな!と思っています。
我が家はまだまだ先だろうけど。あー、真夏の空が目に眩しいですね!!