前回の最後に、「どこまでが保育園なのか?」という問いかけをしました。私は、施設としての保育園ではなく、子どもたちの生活圏こそが保育園だと思っています。なぜなら、地域社会の中で、子どもたちの居場所をつくり、子どもたちを育て、地域を支える人材を循環して生み出していく中心に保育園があることが必要ではないかと考えているからです。人口が減少していくこれからの日本で、このような仕組みができている地域は、これからも力強く存続していくでしょう。
都市部では待機児童が社会問題化していて、保育園を整備しても潜在的保育ニーズから待機児童が減らないジレンマに陥っています。解決すべき社会課題はそれだけではなく、児童虐待や子どもの貧困化など多岐におよんでいます。待機児童の数を減らすことが急務であることに変わりはありませんが、様々な問題を根本的に解決するには、私たちが望む暮らしとはどんなものなのか、私たちが暮らす地域をどのような地域にしたいのかという長期的な視点が必要です。
街の機能
人が集まって暮らす都市は、人類の偉大な発明の1つだと思います。都市は、人々の役割や職業の分業化を進め、それらを効率的に集積し、活発な経済活動を行なってきました。そして職場と住居は分離し、都市は巨大化してきました。都市計画が建物の
機能によって区分けされている現代の都市では、ある意味で様々なことがその機能分けによって分断され、関係を絶たれた状態にあります。保育園の建設が周辺住民によって反対され中止になってしまう事態は、そうした都市の状況の反映ではないかと私は思います。保育園が迷惑施設として街から排除されてしまうことは、言い換えれば、子どもたちの居場所が街にないことなのかもしれません。
一昔前の顔の見える地域圏では、いろいろなものが混在し、子どもたちの居場所が街の中にありました。道路や空き地は子どもたちの遊び場、駄菓子屋は子どもたちのたまり場。子どもたちは街の中で遊び学びました。近所の子どもは一緒に面倒を見る、街が子どもたちを育てる関係や大らかな環境がありました。
街の中にそれぞれの世代の居場所があり、子どもたちもその一部として、1つの地域をかたち作っていました。私たちはもう一度集まって暮らすことの意味を問い直す必要があります。
保育の制度
戦後間もなくしてできた保育制度の中で、保育園を設置するための最低基準が定められました。例えば保育室の面積基準は、海外と比べてとても狭いものです。利用者の子どもの立場からすれば、規制緩和ができないような最低基準であることは明らかであり、待機児童数を減らす目的のために制度を改変するのは本末転倒です。将来国を支える子どもたちのため、よりよい保育環境を整えるために制度を改善していくべきではないでしょうか。子どもたちの保育環境よりよくしていく、その過程で待機児童も解消する、それを実現するのが制度だと思います。
私たちにできること
子どもたちの保育を支える制度をよりよくするために私たちは何ができるでしょうか。それは子どもたちに代わって、制度をよくするように、声を上げることです。当たり前のように私たちが享受している制度は、はじめからあったものではありません。それは先輩パパ・ママたちの努力によって少しずつ獲得されてきたものです。よりよくする声を上げなければ、それは少しずつ崩れてしまうものです。国も地方自治体も財政は厳しいですから、社会的な重要性を認識させなければ、その政策の優先度は低くなってしまいます。
児童福祉の歴史とは、民間の篤志家が自身の私財を投じて行ってきた事業を後から国が制度として定着してきた歴史と言っても過言ではありません。黙っていても国が率先してよい制度つくってくれるものではないのです。私たちができることを小さくも実践することで、子どもたちのための制度はよりよくなっていくでしょう。
保育園の可能性
待機児童の数を減らすには、認可保育園を整備することが一番の対策です。それは行政側もよく認識しているだろうと思います。しかし、待機児童が沢山いる地域ほど、実際にはなかなかスムーズに認可保育園の整備が進んでいないのが実情です。整備が進まない理由には、整備する土地がないとか、近隣住民の理解が得られないとか、いろいろと事情があろうかと思いますが、子どもたちにとってはそんなものは大人の言い訳でしかないと思います。
整備する土地がないというのは本当でしょうか。街を歩けば至る所にコインパーキングがあります。有効利用されていない土地はあるのです。土地を保育園として活用すれば、駐車場として活用するよりも、地主さんにとってメリットがある税優遇など行って、積極的に土地を提供してもらえる施策を講じるべきです。
大きな都市公園に保育園をつくるという試みも行われはじめていますが、市民からの反対からうまく進まない場合もあるようです。市民が利用する施設とカップリングして保育園を整備すれば理解が得られるかもしれません。近隣住民が利用し受益する施設を合わせて保育園を整備する方法は、近隣住民の理解が得られない保育園整備にも使えるかもしれません。
たとえば、野球場や陸上競技場、サッカー場などは毎日使われることは少ないので、そこを保育園の園庭として使う可能性はないでしょうか。空き家を複数利用して保育園機能が街の中に分散配置された保育園の可能性はないでしょうか。小学校や中学校、高校、大学に、地域に開放された保育園を併設することはできないのでしょうか。
いずれも自治体の保育を担当する課だけでは実施することはできません。自治体の様々な課との横断的な連携が必要です。20年後、30年後に、どのような社会をつくりたいのか、どのような地域にしたいのか、そのときに主役となる子どもたちのために、現在どんな施策を行う必要があるのか、そのような長期的なビジョンの中に保育園の整備を位置づける必要があります。
保育園を整備することは、地域をつくること、お互いを支え合うコミュニティをつくることであると認識し、まちづくりの一環として取り組むべきではないでしょうか。
まちづくりの中心
現在の保育園整備においても、地域貢献や地域支援活動、地域との交流を行うよう指導されています。さらに踏み込んで、多世代が交流するような場や施設をつくる動きが全国に広がっています。
地域に開かれた保育園が、多世代を巻き込み、地域のコミュニティの一翼を担い、将来の地域をかたちづくる核として機能することが望まれているのです。保育園は単独の施設としてではなく、街に溶け込み、例えば高齢者の施設と結合するような他の機能と複合化して、多世代との交流を促し、お互いがお互いの存在を認め、互いに支え合う関係をつくり出すハブとしての役割を担うことでしょう。それは新しいものではなく、かつて地域に根づいていた関係の再発見であり、温かい関係の再構築なのです。そのような社会をもう一度構築すること、子どもたちが安心して暮らしていける社会の実現とは、そのような社会をつくることだと思います。私たちはそうした社会の実現に向けて、多くの知恵を出さなければなりませんし、小さな実践を積み重ねなければならないでしょう。それは誰かがやってくれることではなく、私たち一人一人が取り組まなければ実現しないことです。
私は保育園を設計するという立場から、保育園や地域などについて考えていますが、娘が保育園にお世話になった関係で保育に関するいろいろなことを勉強しました。そうして学んだことを自身に定着する意味で、保育士資格を取得しました。保育に関するいろいろなことを改めて学べ、とても勉強になりました。児童福祉の歴史が民間の実践の歴史であることも、知りました。このようなささやか試みも1つの実践方法です。
子どもたちを育てることは、未来をつくることにほかなりません。子どもたちが親になり、子どもを育てる先の時のことまで、私たちは責任を負うことができるでしょうか。アメリカンインディアンは、7世代先の子孫のことまで考えて自然とともに暮らしていたそうです。私たち日本人も「ご先祖さまに顔向けできない」という、現世を超えた長い時間の流れの中での思考をそのDNAに刻み込んでいるはずです。私たちも3世代100年後の社会のことを考えて行動することができるはずです。
子どもたちのために残すべき社会とはどんなものなのか、私たちはそれぞれで考えていく必要があります。今まさに他の誰でもない、私たちにその想像力が試されているといっていいでしょう。なぜならば、望む未来は私たちの手でつくるものにほかならないのですから。
お互いを支え合う社会、全世代が循環し、活き活きと継続する地域は、私たちの心の中に存在する懐かしい未来にほかならないと私は思っています。